はじめまして。31歳現役フリーランスエンジニアのハジメです。
この記事では私がフリーランスエンジニアになるまでの経緯を述べていきたいと思います。
変に特別なことは何もしてません。誰でも「私でもフリーランスエンジニアになれるんだ!」って思ってもらえたら幸いです。
目次
18歳〜21歳 愛知県から東京の大学に進学する
高校を卒業して東京のFラン大学の経済学部に進学しました。バリバリの文系です。
親には感謝しかありません。
サークルは楽しそうだなっている適当な理由でテニスサークルへ。
週2のゆるいサークルだったので行ったり行かなかったりでじょじょにフェードアウト。大学2年の時には完全に幽霊部員。
アルバイトは大学から少し離れた駅の居酒屋でしてました。居酒屋のアルバイトは大学の4年間ずっとしてましたね。
大学は授業、バイト、飲み、旅行のサイクルをずっとぐるぐるしてた感じです。
特にめぼしいこともしてなかった大学生活でした。
21歳〜22歳 就活でブラック営業会社に内定をもらう
大学3年生の時に周りと同じように就活。
やりたいこともなかったのでとりあえず営業で業界をしぼらずにあっちをフラフラ。こっちをフラフラ。
最終的に内定をくれた営業会社に就職することを決意。
最終面接で覚えているのは役員に「飲み会とかは好きですか?」という質問に「はい! 大好きです!」と答えたこと。こう答えたから受かったんじゃなかろうか。。
ちょっと体育会系な雰囲気がありましたがまぁ大丈夫だろうと思ってました。4月をむかえるまでは。。
22歳〜25歳 ブラック営業会社で体を壊しかけたので退職する
4月に就職してびっくりだったのは「残業代なし!ボーナスなし!飲み会は割り勘!」の社風。いや嘘だろ…?
仕事はテレアポでひたすらコール。最初は「これも下積みだし少ししたらやらなくなるだろ」と思って横を見たら一緒にテレアポしてる先輩が。先輩、目の下黒くないですか…?
そこからひどいのが週4での飲み会。これが先輩後輩関係なく割り勘。いや、おごってくれないのかよと。少ない給料がさらに少なくなっていく。
飲み会での会話は基本的に説教。「もっとコールしろよ!」「やる気あるの?」とかさ。
お金を払って説教をくらうって何事ですか? 拷問ですか? 最終面接で飲みが好きなんて言うんじゃなかった。。
同期がちらほらやめていくなか惰性で仕事を続けてましたが、3年目になると残業時間が月80時間を越えることがデフォルトになりました。
さすがに体調が悪くなってきて命の危機を感じはじめたので退社することを伝える。
「あ、そう。やめるんだ。」と割とあっさりな対応。正直ひょうしぬけでしたが、人の入れ替わりが激しかったので特に止められることもなく退社。めでたくニートに。
25歳 友人のすすめられてエンジニアになる
退社してからは1ヵ月ほどニートを楽しんでたのですが飽きてきたので働くことに(実際はお金がなくなりかけた)。
ニートしてる間に大学の友人と飲んでその時にエンジニアをすすめられる。
私「え、プログラミングとかわけわかめ。無理っしょ。」
友人「いや、なんとかなる。俺がその証明。」
私「納得感がありすぎてやばい。」
なんて会話はありませんでしたが、同じようなバカな友人ができていたので俺でもなれるだろと。あとはデスクワークで仕事が楽そうなイメージがあったので。
未経験で採用してくれるところを探して就活をはじめるのであった。
25歳〜27歳 受託の開発会社で下積み期間
適当に受けた受託会社を受けて一発合格。だてに営業やってきた訳じゃねぜ。トークなら多少の自身はあり。前の会社での営業成績は最下位だったけど。
今なら受かった理由がわかる。ただ人手が足りなかっただけでした。
最初に覚えさせられ言語はJava。もうね、意味不明。え、これ人間が触れるものじゃなくね?
それでも2年続けることができました。仕事中に怒号が飛ぶことがなく、強制じゃない飲み会。ここが天国か? 先輩が優しかったのもあって少しずつプログラミングにも慣れることができました。
案件ではjavaからRubyを使うものが多くなってきてからエンジニアとしての技術力がググッと伸びました。まぁjavaむず過ぎてRubyが簡単に感じるだけでしたが。
27歳〜28歳 給料が低いことに怒りを持って転職を決意。給料が150万以上アップする。
仕事に慣れてくると不満に感じてくるのが年収面でした。当時の年収が300万ほど。いや、安過ぎだろバカやろー。
転職サイトや転職エージェントを使っていい条件のところを探しました。あと言語はRubyの会社。javaはもう触りたくない。
転職の時は元営業と言うのもあってうまくいくことが多かったです。
年収は少し盛った方がいいね。同じような年収提示されることが多かったので。
何社か内定をもらって1番年収の提示額が多かったところへ転職しました。その時の提示額が450万。決して高くはないですが、当時の自分としては最高の気分でしたね。
28歳 自社開発最高。だが副業がバレてやめることに。
転職先は自社開発の会社だったのですが、結論からいうと最高でした。比較的ゆるい会社だったので定時で帰っても問題ないし、エンジニアが多かったので教えてもらえることが多かったです。
が、ここで事件が。
前職の知り合いから小さい案件を回してもらって副業してたんですよね。土日、平日夜で月20万とか稼げる時もあったのでうれしくて会社の先輩とかに飲み会で自慢してました。。
そして上の人にバレて仕事をやめることに。。(副業禁止の会社でした)
めでたくニートに。
28歳〜 フリーランスになって世界が変わる
2度目のニートを楽しんでいたのですが、ここでまたエンジニアの友人と話すことに。
その友人も仕事をやめていてフリーランスになっていました。
私「え、フリーランスとか不安定じゃん。無理っしょ。」
友人「いや、なんとかなる。俺がその証明。」
私「納得感がありすぎてやばい。」
なんて会話はありませんでしたが、その友人の稼いでる額がすごかったです。2倍の差がありましたね。自分も稼ぎたくてフリーランスになることを決意。
決めたらそこからは早くて、フリーランスエンジニアのエージェント使ってただ会社を紹介してもらうだけでした。
ここでも元営業のトーク力(ただ話を盛る力)が発揮されて月単価70万の案件を獲得。これだけで年収840万。年収約2倍アップ達成の感動の瞬間。
そこからはエージェントを通さないで案件を契約したり、個人で単発の案件をもらったりして昨年は年収1000万を超えています。
最近は週3で50万の案件を取ったので今年は1000万は厳しい感じですね。
ただいそいそと働かないでまったり生きるのもアリだなと思っています。
当分は週3案件を続ける予定です。お金が欲しくなったらまた週5に戻せばいいだけなので。
フリーランスエンジニアになって働き方の選択肢が増えたことによって世界が変わりました。
今の生き方に不安を抱えている方は是非エンジニアという生き方を考えてみてください。
このブログを通して「自由な生き方」というのを伝えていきたいと思います。